社会人大学人見知り学部卒業見込 完全版
若林 正恭
芸人の長い長い下積み生活を経て、2008年のM-1で脚光を浴びたオードリーの若林正恭。
突然「社会」波打ち際に打ち上げられた若林は、人見知りで自意識過剰な自分を持て余しながら、なんとか社会を生き抜こうとする。
本エッセイ「社会人大学人見知り学部卒業見込 完全版」は、若林が人生を楽しめるようになるまでを、面白オカシク描いた奮闘記である。
優先すべきは自分の感情か?それとも社会に迎合することか?
芸人としての一歩を踏み出した若林だが、それは自分の感情に反することをやるかどうか、その選択の連続だった。
- 高級品に「いいですねー」とコメントする。
- 一流シェフの高級な料理を食べて、「美味しいですねー」と言う。
- 上の人にお酌をする
- 雑誌の撮影で、アイドルばりの笑顔でポーズをする。
最後の写真撮影については1年目の時どうしてもできずにハッキリ断り、ひんしゅくをかったらしい。
自分の感情を裏切り、社会に合わせていいのか?若林は長きにわたり苦悩するが、自分の感情は隠ぺいし、社会に柔軟なスタンスをとることに決める。
これは、今まで社会人、大学でもがいていた若林が「社会人」になった瞬間だった。
自分の性格は変わらない。だから、変えなくていい。
昔から、思い悩むことが多く、ネガティブな性格の若林。そのせいでいつも人生は楽しくなく、特にうまくいっていなかった芸人の下積み生活は思い出したくもない記憶になっているそうだ。
こんなネガティブで消極的な自分は嫌だ!と若林は自己啓発本を読み漁り、なんとか自分を変えようと努力する。その結果、あることに気づく。
性格は記憶形状合金のようなもの。簡単には変わらない。しかも、この悩める性格こそが、芸人としてのタネを生み出す土壌なのだと。
そして、若林は自分を変える努力をやめる。そして、自分の性格をこういうものだと認め、一生付き合っていくことにしたのだった。
生まれてきたら、なんの理由もなくこの世界にいてもいいんだ。
ずっと、人は「何かをしているから存在を許されている」と思っていた若林。だから、社会人として認められていない、結果も出していない芸人の下積み時代は、自分が社会に存在を許されていないと思い込みずっと苦しんでいた。
テレビに出れるようになってからも、求められている期待にうまく応えられていない
と感じ、下積み時代と変わらず、人生が楽しくない若林。
しかし、若林とは逆に、下積み生活も、それからも変わらず楽しそうにしている男がいた。それが、相方の春日。
毎日息苦そうな若林と、毎日幸せそうな春日。
どうしてなのか?若林は考え、そしてある価値観に気づく。求めるべきものは「結果」じゃない。「自己ベストを更新すること」だと。
結果を出さなくても、この世界に存在してもいい。結果がなくても、自己ベストを更新したことには、自信を持っていい。きっと、春日はずっとそういう考えだったのだろうと。若林はこの価値観を受け入れた。そして、やっと社会に慣れ始め、人生が楽しくなってきた。
自分を心を殺さなくてもいい。社会のルールに従えばいいんだ。社会に参加した当初は、自分の感情を隠蔽していることに悩み、お酌もスムーズにできなかった若林。そして、ネガティブな自分をなんとか変えようとし、結果を出して社会に認めてもらおうとしていた。
しかし、数年を経て、「どうでもいい」という感情を隠蔽して口角を上げることがスムーズにできるようになった。ネガティブな自分を認められるようになり、結果を重要視しなくなった。すると、社会は楽しいものに変わった。
社会が自分を拒絶していたのではない。自分が社会を拒絶していたのだと気づいた若林。今若林は人生が楽しいらしい。
この本は、「生きづらい社会だ」と思っている人へ、若林からもっとシンプルに、社会に参加してごらん?案外、楽しいよ?と贈られたエールなのだ。